答志島の最大の特徴、それは寝屋子制度です。
寝屋子制度とは、中学を卒業した長男数人が組を作り、
寝屋親と呼ばれる世話役の人の家に泊まりに行く制度です。
同じ寝屋子の組になった者同士を朋輩(ほうばい)と呼びます。
寝屋親は寝屋子となる子供たちの親が選びます。
人柄はもちろん、一度に数人の男子を受け入れなければならないので、
家のサイズや、経済力なんかも考慮されるようです。
寝屋親は親以上に親として扱うべき存在であり、
結婚相手は親より先に寝屋親に紹介することもあるとか。
寝屋子たちは毎晩夕食後に寝屋親の家に集まり、
寝屋親や朋輩との交流を深め、その家に泊まり、
次の朝は朝食前に帰宅し、家の仕事をします。
この生活は結婚するまで続き、
結婚した人は寝屋親の家を出ていくことになります。
また、結婚をしていない者があっても、10年経つといったんは解散となり、
寝屋親の家での共同生活は終わります。
しかし、朋輩同士は、それぞれが結婚して自立してからも、
なにかあったら助け合う存在として、
お互いが非常に大切な存在となります。
島では
「いいことも悪いことも、みんな朋輩と一緒にやった」
と言う人が多いです。
「悪いことの方が多かったな」とわざわざ付け加えてくれる人も・・・。笑
ただ悪いことをしたら、
寝屋親がきちんと叱り、朋輩同士注意しあうように諭してくれます。
この寝屋子制度の始まりは江戸時代頃と言われていますが、
何のために始まったのかは、諸説あり、定かではありません。
一説には九鬼水軍とも関係の深い土地であったため、
ひとたび声がかかれば、
すぐに船の漕ぎ手となれる人数を集められるように、
1カ所に集めていたと言われています。
また、本土から離れた土地柄であるため、
単純に漁をするのでも、祭事や冠婚葬祭、家を建てる際にも、
島の中で完結させるには互いに助け会う必要があり、
そういった点から見ても非常に有意な制度であったと言えます。
ちなみに朋輩の組み合わせも親たちが決めますが、
元々ウマの合う者同士で組むのが一般的。
一生の付き合いになるのに、わざわざ仲良くない人をくっつけてもしょうがないですもんね。
そういうところが学校なんかとは違うなあ、と感じます。
この寝屋子制度、かつては漁村を中心に、
全国で似たような風習が見られたそうですが、
いまではこの答志島のみに残る、と言われています。
ただ、答志島でも昔ながらのやり方を維持しているのではなく、
いわゆる現代版寝屋子制度に変わっています。
毎晩泊まっていたのを、金曜の夜だけにしたとか、
更にそれを盆と正月のみにしたとか、
寝屋親を決めて泊まることをせずに、朋輩の組だけ組むとか。
それに関しては、島の人たちによく話を聞いて、
時代の移り変わりによる変化や、地区ごとの違いなんかについて、
また紹介したいと思います。