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157 御遷宮の3日間 How they cerebrated the completion of the new shrine

こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。11月7日~9日に、答志と和具の住民にとっては大切な行事がありました。それは、美多羅志神社の御遷宮祭です。

 

答志と和具の住民が氏子となっている美多羅志神社は20年に1度、本殿が建て替えられ、その度に盛大なお祭りが執り行われています。御遷宮、別名宮立ちの2年前には、新しい本殿を建てるための御用材を運ぶお木曳という行事があります。

 

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2年前のお木曳は盛大に執り行われ、この感動は一生忘れないだろうな、と思うような素晴らしい行事でした。しかし、今年はコロナウィルスの影響で、残念ながら宮立ちは縮小して執り行われることになりました。

 

宮立ちは20年に1度きり。縮小しても絶対にやり遂げなければなりません。11月6日から準備のために漁は休みとなり、7日から9日の3日に渡って宮立ちにかかる神事が続きました。

船に掲げられた大漁旗
お祝いにはお決まりの大漁旗

1日目【渡橋式】

美多羅志神社の手水舎から本殿に向かう道に橋が架かっています。新しい本殿を建てるに当たって、橋もきれいになりました。この橋の渡り初め・渡橋式が1日目の午前中に行われました。最初に橋を渡るのは答志から2組、和具から1組選ばれた老夫婦です。この役には3代の夫婦が揃って島に住んでいる家のおじいさん、おばあさんが選ばれます。元々3代続くというのは簡単なことではないことからこの条件があったのでしょうが、近年では特に珍しくなりました。今回選ばれた3組には、この条件を満たしてはいないけれども島の発展に貢献したご夫婦も含まれています。

イスに並んで座っている3夫婦
氏子の中から選ばれた3夫婦の方たち。

こういった大役に選ばれることはとても名誉なことなので、家族や親戚などが集まってお祝いします。振る舞い酒などもあることから、重役に加えて出費もあるので、簡単に引き受けられる役ではないことがわかります。家を出発する際には伊勢音頭を歌ってから神社に来ます。お祝いごとでは必ず聞く伊勢音頭ですが、このお祭りの間で聞いたのはこの時だけでした。

橋は3夫婦によってテープカットされ、晴れて氏子の人たちが橋の渡り初めをしました。3夫婦の家族や親戚の人たちが橋のふもとに集まって写真を撮っていました。

1日目【上棟式】

この後行われたのは上棟式です。式典は新しい本殿の上に建てられたやぐらの上で行われました。やぐらの上に上るのは、奉賛会、町内会、漁協の重役と、お宮を作った大工さんたち、製材所の方、神社総代などです。来賓として市長も来ていました。

本殿とやぐら
本殿の上にやぐらが建っています。かなり高いです。

ひと通りの神事が終わると、餅まきです。やぐらの上にいる人たちが、餅をまきます。餅まきと言えば答志の人たちが最も張り切るところが見られるイベントのひとつですが、やはりコロナウィルスの影響で縮小され、各団体の役員さんのみの参加となりました。本当だったらもっと多くの人が集まって、箱や袋を用意して、よくケンカにならないな、と思うような闘志を見せながら多くの餅を拾ったことでしょう。

 

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餅をまく人たち

もちろん、参加できなかった人にもちゃんとお祝いの餅は来るようになっています。この日の午後に全戸に紅白の餅が配られました。

餅を拾う人たち

この日は雨が降ったり止んだり。せっかくだから晴れて欲しいという気持ちもありましたが、こういう場合「清めの雨」と言うんですね。確かに後の2日は晴れてすっきりとしていたので、初日の雨ですべて清めてもらったのかな、という気がします。

2日目【御川原大祓式】

2日目はのんびりとした日でした。本来ならば演芸があり、舞台に多くの人が集まってとても賑やかな日のはずでしたが、全て無くなってしまった為、なんだか手持無沙汰に感じている人も多かったようです。大漁旗の写真を撮ろうと歩いてみたら、船の補修や網の修理などの仕事をする人にもちらほら会いました。

お祝いの門
のぼりと大漁旗
答志の前の浜
船の前で網の修理をするおばあさん
「演芸もねえもんでなー、網でもきよう(修理する)じゃーって」

午後から行われた式典は御川原大祓式です。新しい本殿に奉納される弓や鏡などの御神宝を清めます。御神宝は各団体の役員さんたちの手によって行列を作って美多羅志神社から答志の前の浜と呼ばれる漁港前の道まで運ばれました。毎年の神祭で墨の奪い合いが行われる通り、お木曳の際に和具の氏子たちが伊勢音頭を歌いながら歩いた通り、音頭取りが歌い、氏子たちがエイトーエイトーと声を上げお木を引いた通りで見る静かな行列と静かな観衆が、なんだか不思議な感じがしました。

袴や裃姿の男性の行列
奉賛会会長代行を先頭に行列が前の浜へ向かいます。
袴や裃姿の男性の行列

2日目と3日目は、桃取や菅島などの周辺の神社から神職の方たちが見え、神事の進行を手伝ってくれました。神職の方が7名もいるって壮観ですよ。

幕としめ縄の中で神事に参列する人たち
前の浜では幕の中で大祓い式が執り行われました

2日目【御本殿遷座祭】

前の浜での大祓式が済むと、御神宝を持って再び行列が神社へ向かいました。神社ではいよいよ、新しい本殿にご神体を入れる遷座祭が開かれます。5ヶ月前にあった遷座祭では古い本殿から仮殿へご神体を移しました。今回は仮殿から新しい本殿にご神体を移す神様のお引越しです。

 

参列する人たちはみんな正装で、特に重要な役に就いている人たちは袴姿、宮世話人の人たちは裃、宮大工さんも特別な装束を身に着けています。

潮で参列者を清める宮司さん

このような神事では式が始まると、まず式典の場や参列者を清めます。この役は他の神社の神職の方たちが担いました。その後、新しい本殿の御扉が開かれました。扉が開くときに出す「ギギギ」という音が、どことなくフレッシュに感じます。

本殿の扉を開く宮司さん
新しい本殿の扉は桃取八幡神社の大山宮司さんが開きました。

続いて仮殿に座する神様に向かって、宮司さんが祝詞を奏上しました。そしてついにご遷座です。白い布に棒のついた衣垣(きぬがき)で、仮殿から本殿までの道を覆い、その中をご神体が移動します。役目に就いている人たちは名前を呼ばれると「お~お」と返事をしていました。衣垣の中に入る人は手袋と白い襷とマスクを着けています。マスクはみんな着けているのですが、コロナ禍でなくてもこの人たちはマスクを着けることになっています。

 

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すぐそこを通っているご神体だけど、衣垣で隠されて見えないため、とても遠い存在に感じます。そしてこの先もずっと本殿の中にあり、人の目に触れることは無いのです。運んだ人たちにどんなものだったのか聞けばおしえてもらえそうだけど、知ってしまったらわたしのなかでの神聖さが少し失われるような気がして聞いていません。

 

御遷座が済むと、今度は御神宝を奉納します。前の遷座祭のときには「こんなものが入っとったんやな」とみんなが話していましたが、もしわたしも20年後にこれらの御神宝の出し入れに立ち会うことになったら、そう思うんでしょうか。今はまだ記憶も鮮明だし、写真も撮っているから、覚えていそうな気がするけれど。

弓、槍、御棟札などの御神宝

だんだんと日が傾いて行く中、新しい本殿に神饌がささげられ、各団体の長が代表して玉串を奉納し、所属する人たちは拝殿にて列拝しました。最後にいくつかの決まった神事が済むと式典は終わりです。奉賛会長からの挨拶が済み、みんながお神酒を飲む頃には真っ暗になっていました。

3日目【獅子舞奉納】

3日目は前日までと比べるととても和やかなムードです。答志の神祭のときもそうですが3日目は大事な神事は全て済んでいるので、ちょっとゆるい雰囲気になるんです。奉賛会長も「やっと肩の荷が下りた」と安心した表情でした。朝7時半から鏡割りがありお神酒がふるまわれました。みんな祭りの最終日のいい気分なので、わたしにも「いがちゃんも呼ばれろ」とお神酒をすすめてくれます。

お神酒の鏡割り
酒樽が勢いよく開けられました。

8時からは獅子舞がありました。これまで神社での式典には決められた人たちしか参列できませんでしたが、獅子舞は自由に見られることになっていたので、獅子舞をまわす十体の人たちの家族を中心に20名くらいの人たちが見に来ていました。

獅子頭を持って来る十体の人たち
ぶりを食べる獅子
ぶりを食べる獅子
激しく舞う獅子
獅子舞の獅子は「おしっさん」と呼ばれています。

3日目【御遷宮奉祝祭】

最後の式典は御遷宮が無事済んだことをお祝いする儀式「御遷宮奉祝祭」です。神様が新しい本殿に移ってから最初の式典なので、とても重要です。その為、普段の祝祭日の式典などでは行わない舞姫さんたちの踊りの奉納もありました。

3人の舞姫

全ての儀式が終わった後、改めて奉賛会長から挨拶がありました。「伝え続けることの困難さをつくづく思いました。しかしそれ以上に伝え続けることの重要さを感じます。」数百年伝え続けてきた神社建築の技術と、信仰心がまた新たな20年に引き継がれました。

3日目【感謝状贈呈式】

最後に、御遷宮にあたって尽力された方たちに、宮司さんと奉賛会から感謝状が贈られました。答志島出身で現在は島外に住み、会社を経営している方がこの美多羅志神社の為に多くの寄付をされていたことを知り、島外へ出ても出世して自分の故郷の為に何かするというのは、とても誇らしいことなのだろうな、と感じました。

奉賛会会長代行と映像サークルのリーダー
記録映像を取ってくれていたグループの方たちにも感謝状が贈られました。

わたしはたまたま3年半前に移住してきて、一昨年のお木曳から、この宮立ちまでを見ることができました。そしてその中で、答志島の人の故郷を思う気持ちの強さを改めて強く認識しました。こんなとき、答志島出身のみんなをとても羨ましく感じます。故郷とのこれだけ強い繋がりというのは、誰もが持っているものではありませんから。

 

それでもわたしは、このブログや、島の人たちとの会話を通して島の出身者ではないからできる気づきや、伝えられる魅力があるんだということをもう既に知っています。これからもこうやって、答志島のすばらしさを外にも内にも発信し続けていきたいと思います。