こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。今日はわたしが住む和具の神祭(じんさい)の日でした。海の神様が祀られている八幡神社のご例祭を神祭と呼んでいます。毎年和具では、旧暦で一番最初の大潮の1月17日にこの祭りが行われます。旧暦どおりなので、年によって週末だったり平日だったりまちまちです。
朝、港を歩いてみると、どの船にも大漁旗が掲げられていました。お正月とこの神祭の期間には船に大漁旗をつけることになっています。これを見ると「祭りだなあ」と感じるようになりました。毎回同じ光景だけど、前よりもいい写真が撮れるんじゃないかと思って、何度も同じ構図でシャッターをきってしまう。
市場に行くと、祭りの膳の準備が始まっていました。ナマコや煮魚の準備を男の人たちが手際よくやっています。集荷場では、串にさす食べ物や、オリと呼ばれるお供え物などの準備がされていました。八幡神社には女の神様が祀られているので、基本的に祭りは女人禁制。その為、女の人たちは意外と普段通りに過ごしていて、今日もいつものようにお墓の掃除をしながらワイワイと話しているのが聞こえてきました。
祭りの日は何度か町内放送がかかります。神祭は女人禁制だけど、これを聞いていると女の人たちもなんとなく祭りが進行しているのが分かりそうです。朝は宮司さんを交えてご祈祷が行われるので、それに参加する人を呼び出す放送。お的(弓引きの的)作りで紙が必要な段になると、各家から紙を持って来るように促す放送(竹の土台に半紙を何枚も重ねた上に粘土状の墨でまるはちを描いたものがお的になります。このときは大体家にいる女性が半紙を持って行きます。)に、弓引きの時間を知らせる放送、祝宴の開始を知らせる放送。
墨の奪い合いで有名な答志の神祭に比べて和具の神祭の知名度はそんなに高くありません。しかし、和具でも墨の奪い合いをします。実際に2本の矢を射り、2本目が的に当たると男の人たちがお的の墨を奪い合います。奪い合った墨は家に持ち帰り、魔除けのまるはちを描くのです。ちなみに持ち帰るときは紙の部分も一緒に持って帰り、墨でまるはちを描いた後に紙と墨を一緒に神棚に供えておくのがしきたりなのだそうです。墨だけ取ってくるのではだめみたい。
神祭と言えば昔はどこの集落でも1月17日に行われていましたが、現在旧暦通りに行っているのは和具だけです。答志の場合は演芸に子どもたちも出ますし、多くの人がいた方が神事も演芸も盛り上がりますから、土日に合わせて開催することになっています。桃取は、弓を引く大役を高校生がすることもありますし、祭りを見る為に帰省したい人もいるだろうから、ということで祝日の2月11日に決めてあります。和具の場合は人を集めることよりも、元々決められた日に行うことを優先しています。
一方で、祭りの中で行うことは年々形を少しずつ変えています。例えば呼び番、呼ばれ番に分かれて祭りの準備を行っていたのを、みんなで一緒にやることにしたとか、若い男性がやっていた奴さんの役を廃止したりとか。今年は祝宴の場所が変更されました。これまでは八幡神社の敷地内にゴザを敷いて、そこに男の人たちが座っていましたが、今年は屋内の集荷場で行うことになったのです。
祝宴の前には潮ふりという場を清める役の男の子が登場するのですが、神事があった八幡神社でやるのか、集荷場でやるのか分からないので、ヤキモキしました。女の人たちは祝宴には参加しませんが、この潮ふりを見たいのと、祝宴の終わった後に各家に配られる膳を受けなければならないのとで集まってきます。みんなで「潮ふりは来るんかいな」と言いながら待っていました。午後からふきだした強い風に耐えながら。
ちなみに今日から3日間漁がお休みな事もあり、今日の夕方から旅行に行く人がとても多いんです。祝宴を見に来た女の人の中には、化粧してジーンズはいて(普通の島民は島の中ではジーンズははきません)出かける準備万端の人もいました。
潮ふりは結局八幡神社に行った後に、集荷場へ来ました。シオフリの子は男性器の形に作られた大根を首から下げているのですが、今年もまた大きく禍々しい男性器で笑いを誘いました。ちなみにただ笑わせる為につけているのではなくて、ちゃんと子孫繁栄とかの意味が込められていますよ。
その後は祝詞をあげて、万歳三唱で祭りは終了。和具の神祭は本当に素朴です。派手さも無いし、祭りだからワクワクする、っていう感じはもあんまりしない。でも準備のときも、墨の奪い合いのときも、祝宴のときも人の笑顔はたくさん見られます。これが和具のスタイルなんだよなあ、って改めて感じました。
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戸上健 (火曜日, 11 2月 2020 06:03)
和具の伝統風習が手にとるようです。
いがちゃん (金曜日, 21 2月 2020 10:43)
戸上さん
祭りにはその地域の気質があらわれますね。