こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。地域おこし協力隊として島ぐらしをする前に実は海外に暮らしたことがあります。わたしが住んでいた国はイタリアです。語学留学で1年間住んでいましたが、もはやそれも7年前の話ですし、答志島に住んでいる期間よりもずっと短いのですが、とても良い思い出で、今でもイタリアが大好きです。
さて、そんなかつて住んでいたイタリアと、今住んでいる答志島、不思議と似ているところがいくつかあります。イタリアは国だし、その中でも地域性があったり、個人差があったりするわけで、一般化して小さな島である答志島と比較するのはどうなの?と思われる方もいるかも知れませんが、いがちゃんが知っている限りのイタリアと、知っている限りの答志島との比較となることをあらかじめ断った上で、書き進めたいと思います。
コンビニが無い
日本が便利な国である大きな要因の1つが24時間営業のコンビニがどこにでもあることです。2013年頃、わたしが住んでいたイタリアのフィレンツェにはコンビニはありませんでした。スーパーが閉まるのは20時とか21時。中心街から離れればあらゆるお店がお昼休みを2~3時間とっているのが当たり前でした。ただ、人間そういうものだと思えばコンビニの無い生活にも慣れるものです。
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食材や飲み物が足りないなら、20時までに買い物に行けばいいんだし、夜中に生理用ナプキンが無くなって困らないように、あらかじめ在庫を把握しておけばいいだけなのです。おかげで、多少不便な生活にも自分は順応できると自信をつけて、いずれ日本で地方移住しようという気持ちを強めました。
離島に住んでいると言うと、よく「コンビニはあるの?」と聞かれるし、無いと答えれば「そんな生活厳しくない?」と言われるけれど、そんなことは無いです。答志島には食材も日用品も売っている商店がいくつもあるし、営業時間も朝早くから夜も20時半くらいまで開けてくれているし、お昼に閉まることも無いし、快適すぎるほどです。
ちなみに2019年現在のイタリアには24時間営業の大型スーパーが結構あるようです。やっぱり需要はあるんでしょうね。
人との距離が近い
イタリア人のステレオタイプと言えば、フレンドリーで愛にあふれていて、男の人は女たらし?わたしがイタリア人に持っているイメージは、人との距離が日本人より近いなあ、ということです。
平均的にパーソナルスペース(対人距離)が狭く、話すときに肩や腕に触るのは普通だし、初対面でも同年代の人には基本的にタメ口です。(イタリア語は英語と違って敬語があるのです)わたしが住んでいた町フィレンツェは比較的オープンマインドな人が少ない土地柄ではありましたが、それでも多くの日本人と比べれば、とても人と人との距離が近いように感じました。
答志島もやはり、初めて来たときからやけに親しげに話してくれる人が多かったんです。観光で来た人に話を聞いても、島の人ってなんか友だちみたいに接してくるね、と言われます。あと、年配の人に多いのはしゃべりながら肩たたいたり、つっついたりしてくる。そんな所がイタリア人と答志人の似ている所です。
話し声が大きい
イタリア人は海外旅行に行くとすぐイタリア人を見つけられると言います。大きな声で大きな身振りでしゃべっているからです。確かにイタリア人は声の大きな人が多い。わたしもイタリア語で話すときは普段より声が大きくなるので、発音するのにある程度大きな声を出す必要のある言語、というのもあるとは思いますが、それ以上に性格でしょう。誰かが話しているときに更に大きな声で自分の話をして、盛り上がるとみんながみんなそうするからどんどん大きくなる、みたいな。
答志島の人たちが声が大きいのにはまた違った理由があると言われています。船の上では、腹の底から大きな声を出さないと聞こえないからだそうです。なるほど、それっぽい理由です。でも、船の上以外でも声は大きい、特にお酒を飲むと大きくなる、話が盛り上がると大きくなる。うーん、やっぱり性格もあるのでは?
古いお金の単位のジョーク
答志島の人とお金のやりとりをすると、「ハイ、百萬両」と言われることがあります。両というのは昔のお金の単位ですね。百円を百万円、千円を一千万円と言うのは使い古されたジョークですが、なぜか答志島の人は両を使うんです。
イタリア人にも似た習慣があります。現在はヨーロッパではユーロという共通の通貨がありますが、それ以前は各国の通貨がありました。当時のイタリアの通貨はリラ。リラからユーロに変わるときに、1ユーロ100リラ2000リラで交換されたので、1ユーロを100リラ2000リラ、2ユーロを200リラ4000リラと呼ぶジョークが存在します。答志島の100円=100萬両ほど単純ではありませんし、おそらくわたしより下の世代には通じないですが、昔の通貨を持ち出すという点ではイタリアと答志島の共通点と言えるでしょう。(2021.3.2修正:リラからユーロへのレートの換算を改めて調べたら間違っていました正しくは1ユーロ=2000リラです)
お盆に水風船を使う
日本ではお盆の8月15日は、イタリアでは聖母被昇天祭という休日でフェラゴストと呼ばれています。日本のお盆並に、帰省したり親戚で集まったりする日なのですが、人に水をかける遊びをする習慣もあります。
わたしは滞在中のフェラゴストに海水浴に行ったのですが、見知らぬ子供にバケツで思いっきり水をかけまくられました。海以外の場所でも水をかけあう遊びをするみたいで、水鉄砲を打ったり、水風船をあてたりするみたいです。
面白いことに、答志島の桃取でも盆行事に水風船を投げる風習があるんですよね。8月15日ではなく、8月31日のおいやれでですが、子どもたちが精霊舟を運ぶがちばんの人たちに向かって水風船をあてます。
みんなコーヒーが好き
以前答志島の不思議に思うこととして紹介した、みんながコーヒー派という事実。イタリアは言うまでも無くお茶派よりコーヒー派の方が圧倒的多勢です。一日に何度もエスプレッソを飲むイタリア人と、ネスカフェバリスタを持っている答志人は話が合うかも、と思ったりします。
いがちゃんにとって住み心地が良い
イタリアと答志島の最大の共通点、それはわたしにとって住み心地が良いということ!もちろんどちらもわたしの出身地、埼玉県春日部市に住むよりずーっと不便です。文句言いたくなることもある。それでもなんか居心地がいいんですよ。例えばイタリアはプライベートな用事だったら遅刻を気にしなくていいとか、おいしいジェラートが食べられるとか、そんな所が最高。答志島は海がきれいだし、困ったときは誰かが手を貸してくれるっていう良い所がある。他にも色々、言い出したらきりがないです。
依然として春日部も大好きだし、大学時代に住んだ町も良い所だったし、イタリアも機会があればまた住みたいし、答志島ももっと長く住めばもっと面白そうだし、まだたった31年の人生で住むのに最高って思える場所をこんなに見つけられているなんて、わたしってラッキーだな、って思います。
コメントをお書きください
いがちゃん (火曜日, 21 1月 2020 10:10)
>藤木さん
コメントありがとうございます。メールアドレスが記載されていたので、コメント削除し以下にコピーを貼りました。
まるみつ寿司の大将の案内で島をまわられたんですね。何も無いなんてことはありません!便利な都会的な生活はありませんが、おいしい海産物、変わった文化風習、魅力的な人々など、移住するに値するものがたくさんあります。またぜひ遊びにおいでください。
>藤木 時雄
>(月曜日, 20 1月 2020 19:47)
>なんとなく開いたこのネットに答志島。私の妹と姉が鳥羽に住んでいるか
>ら、3カ月に一回は鳥羽市に行きます。一回だけ答志島に行きました。ボ
>クシングをしていたという寿司屋に入って、美味しいちらし寿司を食べ
>て、軽自動車で景色の良いところに乗せてくれました。答志島好きになり
>ました。また行きたいです。なにもないと思われる島に移住する興味を引
>きました。私ただのオッサンです。
いがちゃん (火曜日, 02 3月 2021 16:52)
藤木さん
コメントありがとうございます。
日間賀島や神島にもご縁があるのですね。
インターネット上の誰でも見られるところに個人の連絡先を書かれると、迷惑メールや詐欺電話の発生につながりますので、コメントを削除しました。
以下にコピーしたものを貼り付けます。
メールアドレスに返信が必要な場合は「CONTACT」というページからコメントをお願いします。
>藤木時雄
(月曜日, 01 3月 2021 21:25)
>久しぶりに答志島にネットを開いたら、私のことが載っておりビックリ!
>イタリアに似ていることに、ヘイそうなんだ。ますます興味を感じます。
>私の母はとっくに天国にいきましたが、伊勢生まれ。なんとなく三重県は
>馴染みを感じます。今は68才。あっという間に人生は過ぎてゆきます。
>50代最後に津市に本社のあるダイイチという会社に当時の勤務している
>会社が売られ、電動カートの販売レンタルをしていました。日間賀島に行
>っては電動カートを販売しました。島は子供は仕事がなく、島から出てい
>き、高齢者は
>狭い道に小高い家まで移動するのに電動カートは便利です。神島に行った
>時、歩いて1時間もすると港に戻ってしまう。会社に入社した時の歓迎会
>に神島の浜辺でバーベキュー。神島出身の女性が浜から食べたことない貝
>をとってきて食べさせてくれる。十数人で行って一人ひとり抱かれて海に
>落とされることも楽しいひとときでした。ダイイチは船・ボートを取り扱
>っていて一度、伊勢湾を載せていただき海風を浴びながら海を走った良い
>思い出になりました。68才になっても心は青年。青年時代は山も好きで
>登山・スキーに夢中になっていました。その時は山で暮らしたいと思いま
>した。
>なかなか思うように生きていけないけれど、生きるって楽しいです。
> ダイイチに勤めていた時に神島出身の女性が後に答志島に同級生と結婚
>していると風の便りに聞きました。名前は留美ちゃんと言っていました。
> そのうちですが、答志島に行きます。藤木時雄