こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。今月は島にいるよりよそに行っている日の方が多かったかも。実家にも帰っていました。わたしの実家があるのは、埼玉県春日部市。東京のベッドタウンで、人口減少は始まりながらも、帰る度に近所に新しく家が建っているような地域です。そんな春日部に1週間ほど滞在して思ったことがひとつあります。
「ここの小学生って、知らない人ばかりの町中を子どもだけで歩いて帰るんだな」
答志島では、子どもたちが通学路で会う大人はほぼ全て顔見知りです。道で転んでけがをしたら、家からばんそうこうを持って来てくれるし、なにか落としたら後で届けてくれる。子どもたち本人だけでなく、その親や祖父母までよく知っているのです。移住して1年半の間に、そんな環境で育つ子どもたちに慣れきってしまって、逆に春日部の子どもたちの育つ環境に不安を持つほどになりました。
わたし自身春日部で生まれ育ったので、当然小学性のときは知っている人に会うことがほとんどない通学路を一人で帰っていました。今では毎日下校時刻になると、地域の大人の人が見守りで立っているので、毎日必ず会うおじさんおばさんというのがいるんだけど、わたしの時代はそんなのも無かったので、本当に無防備な状態だったなあ、って。ただ、これは物理的に無防備と言えるけど、その分知らない人について行ってはいけない、とか、怖いことがあったら「こども110番の家」に飛び込みなさい、とか教わるんですけど、答志の子どもたちは危険な目に遭うことはまず無いのが前提なので、都市部の子どもたちよりも心が無防備だとも思う。(※答志の人は知らないと思うけど世の中には「こども110番の家」という子どものための緊急避難所があります。家の玄関にシールを貼ったり看板を出したりして、子どもたちが危険を感じたときに助けを求められる場所であることを示しています。)
春日部の子どもたちの下校風景に驚いたことを地元の友人に話したら「あー、言われてみればそうだけど、それが普通だよねえ」と言われました。そう、それが普通で、答志島が特殊なんです。わたし自身も答志島に住んでいなかったら同じ感覚だったと思います。いつの間にかわたしにとっては答志島の環境が普通になっているんあだなあ、としみじみ感じるエピソードでした。
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