こんにちは、答志島へ移住して1年3ヶ月経ったいがちゃんこと五十嵐ちひろです。そういえばわたしが移住に至ったプロセスについて書いたことが無かったので、2回に分けて話そうと思います。
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移住以前の生活
移住前にわたしが住んでいたのは、埼玉県春日部市。山も海も無い住宅街で、最寄り駅までは徒歩8分、近所にはドラッグストア、コンビニ、ラーメン屋などがあり車で10分弱(自転車で20分)の所に大きなイオンがある、というとっても住みやすい場所です。
仕事は都内の伝統的工芸品を扱うお店での接客やオンラインショップ関係のことをしていました。通勤には片道約1時間半くらいかかり、これは都会の人にも田舎の人にもなかなか理解してもらえないのですが、東京近郊にマイホームを持つパパには当たり前の通勤時間です。
そんな生活から、島暮らしに転向したわけですが、そもそもなんで島に移住しようと思ったかと言うと、島には元々そんなに興味は無かったんです。わたし自身の記憶も定かではないのですが、「いずれ田舎に住んでみたい」と言う気持ちが確か10代の頃からあって、その後イタリア留学中に、「田舎暮らしをしよう」と決めた気がします。
イタリア留学中に思い立った田舎暮らし
2013年から2014年の間、1年間イタリアのフィレンツェに留学していました。言葉も文化も大きく違う世界に行き、今まで知り合うことの無かった人たちと知り合い、かなり視野は広がったと思います。
当時イタリアでは24時間営業の店というのはほとんどありませんでした。スーパーは夜の8時とか9時に閉まるし、コンビニエンスストアなんて無いので、それ以降に何か必要になっても購入するすべは無かったのです。しかし9時以降に買い物ができないのなら、9時前にすればいいだけの話。それに慣れればなんてこと無いんです。田舎ぐらし、島ぐらしをしていると言うと「コンビニ無いんでしょう?」と心配されることがありますが、人間コンビニなんて無くても生きていける、というのをイタリアで学んだのでした。
その他にも日本にずっと住んでいたら許容し難い出来事は多くありました。でもほとんどのことには適応できたので、「ああ、わたしはどこでもやっていける、次は日本の田舎に行こう」と思ったのです。
住むなら海のあるところ
海なし県の埼玉県出身なので、子どもの頃から海に対するあこがれがありました。そのあこがれが田舎暮らしをしよう、と思ったときに、海のあるまちを条件に入れさせたんだと思います。具体的にはドラマ「ビューティフル・ライフ」の最終話、最後のシーンで出てくる海辺の美容室とか、学校帰りに海で遊んで帰る鎌倉の中学生とかがわたしのあこがれの対象だったんです。
日本は島国ですから、海辺のまちっていうのは掃いて捨てるほどあるわけで、都道府県で絞っても47あるうちの8(海なし県8つ全て言えますか?)しか削れない。そんなぼんやりとしたあてのない状態のまま、移住活動を始めたのが今からおよそ2年半前、2015年の9月のことです。毎年9月に東京で開かれる「ふるさと回帰フェア」に行くことから、わたしの移住活動は始まりました。そしてそこでまあまあ痛い目にあったのです。
次回、移住活動を始めてから実際に答志島に引っ越すまでの1年半について書きます。
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