こんにちは三重県鳥羽市地域おこし協力隊の五十嵐ちひろです。今日はとっても暖かかったですね。というか日差しが暑いくらい。そんななか島では冬のお祭り、神祭(じんさい)が行われました。「あれ、神祭ってこの前やっていなかったっけ?」と思ったあなた、そうです。この前もやって、またやるのです。なぜかと言うと、各集落でそれぞれに行われるから。先月は答志で神祭があり、その前には桃取、1月には菅島でも弓引き神事が執り行われました。どれも八幡神社に豊漁、豊作を願うお祭りで、ルーツは同じです。
この八幡神社のお祭りは、元々旧暦の1月17日に行われていた神事なのですが、現在ではその日に合わせて行うのは和具のみです。力強い神事に、ハイクオリティな演芸と、答志の神祭にばかり光が当たりがちですが、今回は和具の神祭についてお伝えします。
和具の神祭
和具では、神祭の期間は3日間設けられていますが、実際に神事を行うのは最初の1日のみです。答志のような演芸はありません。その1日のうちに、祈祷、弓引き、直会(なおらい)を行い、残りの2日は旅行に出かけるのがスタンダードです。
神祭が行われる旧暦の1月17日は、一年で最初に大潮と大安の重なる日です。大潮のときは、潮の満ち引きの力が1ヶ月の中で最も大きくなり、そこに大きな力が秘められていると考えられていたのではないでしょうか。実際、和具の人に聞くと、神祭の頃の潮はわかめがよく育つと言います。
呼び番、呼ばれ番
和具では地区内を2つの世古(地区)に分けて、上世古(うわぜこ)下世古(したぜこ)が毎年交替で呼び番(迎える側)と呼ばれ番(弓でおまとを射る側)を務めます。菅島では弓子と使いに分かれていたし、桃取でも射手の身の回りの世話をする人がいたし、答志でも七人使いとおまと衆に分かれていたし、やっぱり元々は同じ祭りだと思わせるところがちょこちょこありますね。
今年は上世古が呼び番で下世古が呼ばれ番ということになってはいますが、実のところやはり桃取同様人口が少なくなった関係でかなりうやむやになっているようです。本来なら呼び番、呼ばれ番にそれぞれ仕事がありましたが、各々の得手不得手に合わせて、仕事を選んでしているようです。ちなみにこの行事、基本的に女人禁制であるため、女の人たちは割と暇です。力仕事も膳の準備も全て男性がします。
おまと作り
おまと作りは当日の朝から始まります。材料である竹はあらかじめ山で取ってきたものを海に浸しておきます。また、各家から1枚ずつ半紙を持って来ることになっています。まるはちを描く墨は消し炭(芯までしっかりと焼いた木材です)とふのりという海藻を煮詰めてつくった糊で作ります。
おまと作りは本来は呼ばれ番の仕事です。呼ばれ番が上世古のときと、下世古のときで寸法や作り方がちょっと違うようで、現在では大体同じメンツで作っていますが、作り方は毎年変えているみたいです。
弓引き
弓引きは12時半に行われました。定刻の少し前になると男の人たちが集まってきます。そしてまずみんな浜へ行って身を清めます。清めると言っても裸でこりをかくのではなく、海水で手をじゃぶじゃぶっと濡らしてそれを舐めるのがここでの清め。それが済むといよいよ弓引きです。
弓引きの様子はぜひ動画を見てみてくださいね。申し訳程度に雄叫びをあげながら、おまとを移動し、あっという間に弓を引いて、墨の奪い合いが始まります。和具で弓を引く回数は2回。2回目が済むと、墨を取ります。
墨を手に入れた人たちはすぐに浜へ移動し、再び身を清め、家や納屋にまるはちを描きに回ります。わたしも少し墨を分けてもらい、家にまるはちを描いてもらいました。残った墨は神棚に供えるのが習わしです。入居したとき神棚の中身は空って言われたけど、気分的に貰って供えておきました。ちなみに、墨だけでなく、台紙である紙もくっついた状態でないといけないそうです。紙と神をひっかけているのか、氏子から集めた紙だから意味があるのか・・・。
さて、ちょっと長くなってきたので、いったんここで終わりにします。続き、直会(なおらい)については次の記事で。お楽しみに~。
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